先端文学宣言

拠|神丸智華 於|2018/03/25

戦後以来ノ母語ノ凋落ヲ歎ク文士ヤ、自己ノ核心ニ言語ヲ措ク進歩主義者ハ当該文学運動ニ加担サレタシ。

0x00 先端の、したがって未知の文体/言語構造を有するテクストを創発することにより、戦後以来の遅滞を返上する。当該文学運動は加速主義理念に準じる。常にラディカルな形態を志向し、絶えず脱皮を繰り返すことで現行の資本主義体制及びあらゆる支配体制から超出するのである。

0x01 資本主義の産物ではない文学を創出する。学術や技芸に傾いた専門性や、虐待や狂気を具えた非倫理性、晦渋や不明瞭を厭わない抽象性、これらは澱みとしてマス(需要巨塊/供給巨塊)から忌避され、この忌避によって生存を阻碍されてきた。しかしもはや資本に生存を保障されることを要請しない。

0x02 テクストを所有する権利は何者にも与えられない。著作物に関する一切の権利は、その市場価値を保持するためにのみ発生する。先端文学に纏わる言語行為のすべては言語への奉仕であり、刷新には剽窃/簒奪/陵虐等あらゆる冒瀆行為を許容する。経済的/司法的に保護されて文化は自生しうるという言説は欺瞞である。

0x03 あらゆるテクスト、また個人は言語行為に関して完全に解放される。ここで措定する「真なる自由/解放」の描像はアナキズムに準じるが、闘争をおこなうことはない。体制の打倒でなく、その自壊を願うのみである。

0x04 母語至上主義により言語基体は大いに拡充され、言語統一の趨勢を邀撃する。文法構造を同時代人が自己規定する、言語に関する主権を奪回するのである。これは翻訳不可能性の追求だが、対座されるのは異言語話者ではなく、計算機に自働化されたアルゴリズムである。むしろ多言語の交錯をもってこの掘鑿に当たる。

0x05 言語活動は史上最も解放されていたし、これからもそうあるべきである。仮にこれが妨げられるとき、他ならぬ非服従により対抗する。いまやマシンプロトコルすら文学要素に数え上げられ、先端文学者にはインターネット上の検閲体制を破砕するクラックツールの開発をも要請される。あらゆる文体を構造する能力の会得こそ、文学者が文学者たる所以である。

0x06 言語活動は史上最も解放されていたし、これからもそうあるべきである。飽くなき進歩の追求は集権体制の膝を挫く。戦後以来の稚拙な国語教育は個人のうちに覆えされ、彼らは資本者の喧伝によるバイアスやフィルタを退ける。僻見や批評によるあらゆるレッテルからテクストは解放される。

0x07 言語能力は純粋化され、個人は自律して母語を涵養する。社会契約の一方的な支配性/強制性について蒙い人間は賃労働者になるため統制下の学校教育を受けるが、真なる自由を冀う人間はこの循環生産体制に離背し孤立する。彼らは往々にして個性を欲し、孤立下にも公然にも自我を確立することに情熱を捧げる。彼らの思想をより豊饒にする材料ならびにフィロソフィカルな思考過程を供する。

0x08 あらゆるタブーを廃絶する。タブーとは、ある特定の文脈で悪徳とされる語彙を狩り、それを通念として個人に強いる一連の支配過程を指すが、真に自由は言語活動はこの不当な制約からテクストを解放する。あらゆる卑語や侮蔑語には、その歴史的使用に沿ったシニフィエを想起すべきでなく、当該テクストにおいて全く新規に遭遇する語として対面すべきである。この自浄作用は個人に於いて為されるが、実質的にはテクスト自身のうちで済む。

0x09 自由/解放は権威と同棲しえない。無文脈主義を掲げるのは、あらゆる文脈は権威により統成されるからである。文脈は構造を有つが、これは単に個人が不服従の意志を示すだけで瓦解するほどに脆い。絶対的に鞏固な構造を有つのはテクスト及び個人であることを自覚すべきである。

0x10 およそ言語活動において咎められるべきことは何もなく、その点で無道徳である。無道徳(アモラル)とは、一般に流布する善徳に背き悖る悪徳とは決定的に異なる。これは個人があらゆる通念を保持しないことの宣言である。自律した信念に基づいて意志決定をおこない、如何なる言語活動における一切の責を自己が負うリバタリアニズムに準ずる。

0x11 超個人主義はすべて個人をクィア化する。先端文学者が独自に文学派を標榜することもそうであるし、個人もまた独自解釈や誤読の幅を無際限に拡げることを怠ってはならない。同一言語種族は幻想となって消失し、もはや文法規則は類推(アナロジー)としての機能しか果たさなくなる。

0x12 巷間に流布するあらゆる政治主張や思想主義の一切は、先端文学の活動領野内において玩具化する。無文脈主義の作用により、玩具の内包するあらゆる語彙は新規に出現したものとして都度にシニフィエの刷新が起こる。イデオロギーや抽象概念といえど、この自浄作用から免れることはない。当該文学運動もまた脱構築的に自浄せねばならない。

0x13 いわゆる純文学は同時代人の生活様式の影像という不文の型枠から外れ、人間意志を神話化して過去のものにする。ワールドワイドウェブという仮想レイヤーの出現以前、肉体の存在するレイヤーが唯一の現実だった。もはや無数に多層化している現代以降の世には、剥きだしの思弁/思想が実体となる。

0x14 テクストの生産者としての主体は黙殺され、もはやテクストだけが純粋に存在する。20世紀の文学読解により作者は亡き者と見做されるようになったが、むしろすすんで自殺すべきである。テクストこそが唯一の実存であり、その繁栄のために文学者は自己の埋没を厭わない。

0x15 ジャンル分類は不能である。「先端文学」という呼称は、正確な名称の賦与を諦めた批評者たちによる他称となるべきである。自身にも世人にも未知の文学形態を創出するが、未知であるか既知であるかが尺度となるのは相対主義の文脈によることを第一に戒めておくべきである。

0x16 有意味/有価値であることは誰の手によっても裁定されてはならない。生存/存続は進化論上の善であり、絶対的にそれが望まれることはない。ここで本質主義と絶対主義が我々のテクストに実存を与えるが、これらも所詮は玩具である。知らぬ間に自身が玩具とならぬよう喝破する。無批判の陶酔は禁物である。

0x17 人間中心主義(ヒューマニズム)からの脱退はテクストの散裂と読解の佶屈を招くが、これを克服する鍛錬を積んだ者は強靱な言語行使能力を体得する。テクストは、いまや鞏固な信念の現し身として本質化されるのである。信念について純粋化したテクストは思弁と同値である。

0x18 テクスト双びに個人は、それぞれ固有の論理構造を有つ場(フィールド)を保持する。思弁の三要素である、論理学/数学/物理学は各々の大系上に閉じた論理空間を有つ。テクストや思弁は勿論それより上の階層に属するため、規則を自己定義して自身の場を支配する。この閉鎖系の外には開放系が在るが、これを統御する規則を改変できるのは真理者のみである。

0x19 思弁こそ真理へ至る唯一の法である。オープンウェブは開放系の擬似である。


#先端文学宣言